武雄温泉遊郭跡の解体

武雄といったら武雄温泉!

歴史ある土地でもありますが閉館から10年以上経過し、廃墟化しつつあった旅館跡を解体工事させていただきました。そこにつまった歴史を紐解きながらまとめてみたいと思います。

武雄温泉の歴史

武雄温泉の歴史は古く1300年以上の歴史があります。
和銅6年(西暦713年)の「肥前国風土記」の記載が最古の記録ですが、
伝説では神功皇后が三韓征伐の折に発見したとも伝えられてますので、
もしかしたら1800年近くの歴史があるやもしれないと思うとロマンがありますね!

豊臣秀吉、宮本武蔵、伊達政宗、吉田松陰、伊能忠敬、シーボルトといった
それぞれ大河ドラマの主人公でも事足れるビッグネーム達の足跡が残っています。

時代が明治となり湯治場から近隣の嬉野同様に歓楽街へと変貌していきます。
そう、遊郭です。
元々遊郭があったとゆう話は聞いていましたが昭和59年生まれの私にはピンと来ない話。
まず実際、遊郭ってなんだろう?から始まりました(笑)

遊郭跡周辺に残るパーツたち

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昭和33年に売春防止法が成立した後、高度経済成長に支えられ、
遊郭は旅館やホテル経営に転換され消えていきました。
武雄の遊郭は7件ほどあり、スマートボール屋や遊園地があったと聞きます。

昔の方が栄えてる!!

当時は近隣の炭鉱の好景気もあり意匠的にも優れた建築物が立ち並んでいたようです。
現在でも不思議に感じていたのが武雄温泉通り周辺だけなぜか三階建ての建物が多いのは、
この時代の影響なのだろうと考えられます。

しかし、平成になりバブル崩壊、観光産業の衰退、建物の老朽化、火災…。
ネットで調べると現存する遊郭跡の建物は今回解体する場所と隣接する旅館だけのようです。

今回の物件は?

今回解体させていただく建物は、
大正7年建築の木造二階建てと、昭和51年~平成2年の間に新築増築された
鉄骨造3階建て、RC造6階建ての建物となります。
営業はここ10年ほど閉館され、もはや廃墟となりつつありました。

遊郭跡を探訪されている皆さん、ご安心ください!!!
当時物の木造2階建ての遊郭建物は残しとなりました!!
ですので、今回の工事はRC造6階建・S造3階建て・木造切離し工事となります。

工事前に周辺の住民の方達に挨拶にお伺いした際にも
「残すの?解体しちゃうの?」とよく尋ねられましたがご安心ください。
また利用できる機会が数年のうちに訪れそうです。(詳細はご勘弁を)

内部には大正7年建築当時九州で唯一?のウグイス廊下があったり、
木造建築物の英知が詰まった造作となっています。
ぜひ営業再開したら遊びに行ってみてください!

解体工事の開始

昨今の解体工事の悩みの種はやはりアスベスト(石綿)。
ありきの見積でいくとこの程度の建物だとペロっと百~千万円
増えたりするので、お客様との交渉、見積提示にも慎重にならざるを得ません。

今回は旅館跡で昭和51年に建築…。アウト―!
絶対入ってるヤツだ!と考え、見積提示前にアスベスト含有調査を実施しました。

検査した項目は

  • 外壁塗装含有石綿
  • 鉄骨防火被覆吹付材
  • ボイラー室防火被覆材
  • 配管被覆材

以上の検体を分析機関に回し、Pタイルやケイカル板などの不燃材料は
レベル3の含有ありとして検討しましたが、調査結果は…(含有なし)
うそ~~( ゚Д゚)ほんとに? 意外や意外。含有無し。
おかげで全体の費用を抑えて着手することとなりました。

まずは内部解体。
大変だったのは廃材の搬出作業です。
2階部分くらいまでは人力でなんとかなりますが3階以上、
また積込場所から離れるほど能率が落ちていきました。
約1.5カ月を費やして内部解体を完了し、いよいよ大型重機での躯体解体です。

大型重機がやってきた!!

語彙力に欠けるといわれても仕方ありません。でか!!

そこらの戦車より大きいのでは…(゚Д゚;)ゴクリ。
弊社では主に解体している建物が低層建築物が多く、せいぜい4階建てまでが多いため、
今回は上屋の躯体解体を取引先と協力体制を敷いて取り壊ししました。

重機の腕の取り付け…でかい!
ベースマシン(重機本体)だけで50tあるため、腕は現場で
作業用途にあわせたものを取付します。
まずは低いところを噛み噛み。

ちょっと出張に出た隙に長い腕に取替えられて取り壊し進んでました。
意外なのは物凄い騒音かと思いきや以外と静か。
もちろんエンジンの重低音や破壊音は響きますが想像してたよりも静かです。
機械も進歩しています。

一気に完成!

疲れた訳ではありません( ;∀;)
今回の工事では工費削減のため地中梁等は残しでの契約でした。
浄化槽の汲み取り消毒後に内部の撤去。

底板に穴開け後に埋戻し。

昭和~平成の建物は無くなり、大正の建物だけが残りました。
現地に訪れたら分かりますが、南側の斜面には
明治~大正期の煉瓦造の遺構の跡も見られます。

武雄温泉楼門前の旅館マスダ跡地では平川豆腐の店舗建設が始まりました。
秋頃には湯豆腐や足湯が楽しめる施設ができるとの事。
1300年前からの人の歴史が途絶える事無く、
また新たな繁栄がこれから始まるのかと思うとワクワクしますね!

これから武雄温泉周辺の再開発が楽しみです!!

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